記憶と理解の変化

最近、例えばお風呂に入っていたり、自転車に乗っていたりする時に、「そういえば去年の今頃はこんなことしていたな」とか「こんなこと思っていた」ということを思い出せるようになった。


以前は、わりと直近の記憶や印象的な記憶が自動で再生されていたように感じる。画像や映像やセリフがセットの生っぽいもので、自分がどう思ったかどう理解したか、ということは欠落したままの。


いくつか理由が重なっていると思う。

・昨年環境や仕事内容が変わり、静かな生活を送るようになったこと。ストレスになる外部刺激が減ったので、自分の内側に注意を向ける余裕も出てきたのかもしれない

ステラトラで、メタ認知力が上がったことで、その都度物事を理解しやすくなったこと→記憶が画像や映像という生のままではなく処理をするようになってきている

・この1-2年で、虐待やトラウマ、性暴力に関する本をまとめて読み、定型の人でも後天的に記憶の有り様が似てくることや、ASDだと特性+後天的にトラウマ的な記憶として抱えやすいということが理解できたこと

 

子ども虐待という第四の発達障害 (ヒューマンケアブックス)

 
ADHD+虐待を受けた友人と、解離や記憶の欠落、フラッシュバックについて何度も話をし、記憶の自動再生を妄想(現実ではないという意味で)だと捉えて、意識的に止めてみるという発想を得たこと

・この1-2年、自分とまったく考えが違う人となんとか理解し合おうとする、という機会が多く、「他者」というものについて意識するようになってきた

 



平静な気持ちで、あの時はこうだったけれど今はこう思える、とか、あの時の出来事はこんな意味だったのかもしれない、と思えることは大きな変化で、こうやって理解や納得をできないままパターン認識でこれまでなんとかしようとしていたのだなと思う。

ただ、記憶力と引き換えに得たもの、という感覚は強く、ASDの特性を保持したまま安定して10代20代を過ごしたかったなとは思う。