解離と2つの自分

「発達障害を忘れる」ということ。 - Togetterまとめ

このまとめを読んで、ぎょっとしたことを覚えてます。
診断を受けた時期が早かったこと、10代の頃から精神的に不調だったこともあり、ASの自分=アイデンティティになってしまっていました。
このblogの更新をやめ、AS関連の情報を見ないように、考えないようにし、一旦ASの自分を忘れることで、実名での自分のアイデンティティを育てることができました。(本来は、10-20代で育てるものだと思う)


昔、医師に、解離がありますね、と言われて当時は何のことかわからなかったけれど、
自分自身の輪郭が薄く、自分の気持ちや感情ほどわかりにくかったので、
ひどく不調の時期があるごとに、その前の自分のことを忘れて生きてきたように思います。
解離があったから、アイデンティティが薄いのだけれど、逆に意識的に「忘れる」ことができたのかもしれません。


年齢が上がってだんだん大きな不調は起こさないようになってきて、そうやって「途切れる」ことがなくなってきました。
けれど、昨年強いストレスがかかり、向き合うためにトラウマや虐待の本を読み、書かれている人の状態と自分との近さを感じ、解離があることを強く自覚しました。
受け入れるプロセスは苦しかったけれど、よいことだったと思います。


同じような10代を経て、解離とADHDを併せ持つ友人がいます。彼女は、医師に、元々の特性+後天的な解離の区別は付けづらい、と言われたそう。



ASの自分と、実名で仕事をしている自分、
どちらか片方の自分だけでは足りない、両方必要だと思って、この日記の再開を決めました。