言語化の弊害

山に生きる - 映画を見るのはめんどくさいし、ちゃんとしたブログを読むのもめんどくさい。より

技術という「説明の出来ないもの」を「説明できるもの」に置き換えてしまった結果、その技術は失われてしまった。

診断前後からこっち、言語化することにかなりのエネルギーを使ってきて、役に立ったことは多いけれど、直感力や相手の本音を読み取る能力は落ちたなぁと思う。

本音といえばむしろ読み過ぎな場合も多かった。もちろん全員ではなくて、わかる相手限定なのだけれど。相手が意識している以上のことを読んでしまって、それは良いことも悪いこともあった。


我ながら何度も同じことばかり書いているなぁと思うけれど、気が済むまで表現を変えて書き続けるしかないのだろうなぁ。