人疲れ、次のステップ

とあるフェアに行ってきた。顔見知りの人がいたので話しかけて名刺交換。知らない人にも話しかけて名刺交換。我ながらよくがんばったと思う。一期一会的なシチュエーションだと少々振る舞いが変でも大丈夫だと思えて安心する。そういえば4年前の似たような状況で興味を持ってもらえたのに、話し方が変だったのか引かれてしまって悲しかった。


終わりの時間が近づいてきて、疲れたなと思ってぼーっとしてたら、顔見知りの人が自分たちのところにわざわざ呼びに来てくれた。正直一人でいたかった…。無理矢理話して、離れるタイミングをうまくつかめず途中まで一緒に帰るはめに。なんとか逃げて電車でかち合わないよう時間をずらす。帰りの電車でぐったり。


そして案の定うずまく言葉やシーンのリフレインで眠れない。自己開示し過ぎたよ。自分のアイデアを人に話してしまったことへの抵抗も含む。しばらくしたら慣れるとは思うのだけれど。


とはいえ、薄々やらないといけないなと思っていたことを、はっきり目標に据えた。今の自分の能力から考えると先は長いなぁ。昔は情報収集にはまっていたため、何をするか絞りきれなかったのだけれど、ちゃんとステップ踏んでいきたい。でも目標ばっかりできてくるわりにはなかなか進まない。

診断と自己認識

軽度の人ほど「自分ははたしてアスペなのか」「医者に違うと言われないか」と悩むと思う。出ている自伝は自閉度と過敏性の高い人が多いし、フルタイム社会人アスペの自伝は今のところ出てないし。ネットで見かけるアスペは、二次障害で働けない人や、子どもが診断された流れで自分も診断がついたという母親の数がどうしても多い。


自閉度高めの人、二次障害が重い人から診断されていって、最近ようやく軽めの人、比較的適応している人も診断されはじめてきたという時期なのだろう。前にも少しそういうことを考えた。
現状の分類


ニキリンコさんがこのあたりの問題についていろいろ書かれていたと思う。

障害学の主張
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第6章 所属変更あるいは汚名返上としての中途診断-人が自らラベルを求めるとき ニキリンコ
Amazonのページから、詳細な目次が読める。このテキストは繰り返し読んだ。ちなみに自分たちでつくった小冊子が参考文献に載っている。


あと自閉連邦在地球領事館附属図書館の、
多種族社会の部屋
国境地帯の部屋


障害について理解した上で、診断済みの人に親近感を覚えたり似た要素を見出したりする人は、例え未診断でも自閉だと自分で思っていいんじゃないかなと個人的には思っている。純定型の人は絶対に親近感なんか抱かないと思うし。


とはいえ、自分も診断されて3年後に「私はアスペじゃないかも」と思って(その頃調子が悪かったので)、その後2年ぐらいそのまま過ごした。自己認識の変更には専門医の断言が必要だった…。


あと軽めの人ほど、適応するための戦略としての「対人モード」の作りこみが高度になっているので、自分が思っている自分が自閉っぽくないということもある。私はたぶんこのせいで、自分のことを最初ADDだと思って病院に行った。はじめに「館」の掲示板を見て、これは!と思ったのだけれど、自分がそうだとは確信できなかった。
対人モードについてはこのblogに書いたつもりでまだだった。また今度書く。