喋っているアスペと黙っているアスペ

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ASと想像力③ 相手の意図と相談での

 現実的にはこのプロセスは「相談」という形を取る。そのたびそのたびに相手の意図を実際に言葉の形で確認して、その情報を追加し続け、言葉で得られた以上に普遍化することもしない。「必要があれば相手に聞く」ということになる。



このアドバイスがどうもしっくりこないのは、「相談」は、この図で書いた「黙っているアスペ」に向けであって、私自身は「喋っているアスペ」で、過剰の言語化をむしろ周囲にうんざりされているからではないだろうか。「黙っているアスペ」にはもっと喋った方が適応しやすく、「喋っているアスペ」はもっと黙った方が適応しやすい。


でも「ちょうどいい」は難しい。


ちなみに私の父は昔「黙っているアスペ」で、一切の自分の思ったことを言わなかった。母から「ロボットのようだ」と罵倒されながら。そして現在つたないながらも何でもかんでも喋るようになって、母は「人間らしくなった」とは言いながらうんざりしている:-p