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約束をやぶることと、その対応


NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 - fuuuuuuunの日記

先生は「電話しなかった」と紙に書くと、破り始めた。「このことはもう言いません」「終わりました」

彼は謝罪も無く、あっけなく出て行った。

これすごい。約束は守られなかったけれど、守られなかったということで「完了」した訳で。

自信が蓄積されたあと、自然と行動が変容していく。のかな?

今すぐでなく、という。


「約束」することを共有することの重要性 - かへる日記 (FRGFRG304)

何度も何度も繰り返して、経験して整理して学習して、自信も付けてって。

読んでいて思い出したこと。
私は、小学校高学年の時、1年ぐらい読書を禁止されていた時期があった。当時流行っていた視力回復センターに通わされていたので。読んでいいのは、勉強に関係ある本のみ、子どもの頃から読書好きの私としてはつらかった。


センターに通うのも終わりに近づいたある日。年上の従兄の家に行った。従兄は不在で、代わりに彼のSF全集がそこにあった。部屋が暗くなるまでずーっと読んだ。罪悪感はあった。読んでしまったから、もう取り返しがつかないと思っていた。
でも、母はたぶん知っていたのだろうけれど何も言わず、そのまま立ち消えに。


私は隠れてマンガを買ったり、図書館に行くようになった。(そして高校の頃には、家に帰りたくないがために本屋にいりびたるように。)



今思えば、読んでしまった、という話を子どもときちんとして、もう読まないのか、そんなに読みたいのなら制限を少しゆるめるとか(そもそも読書好きに育ってほしかったのではなかったか)、何らかの対応策はとるべきだったのではないかと、今にして思う。なんか、「あなたはそういう子なのね」みたいなスルーのされ方をしたような気がする。
結局、過剰に本を読み始めたおかげで、視力はますます悪化した。何のためにセンターに通わせたのか。


なんだかその種の話し合いをきちんとしたことがない。彼女は怒っているか、決め付けてくるか、押し付けてくるか、で。どんな気持ちだったか聞かれたことって、子ども時代は一度もないな。
母はここ1年ぐらい太極拳をするようになってずいぶん話がしやすくなった。ゆっくりした運動でどうも「発達」したらしい:-p


(追記)
大人になると、目標(まぁ、自分とのゆるめの約束)が守られないことって当たり前になって、それは立てた目標が悪いんだろう、ってことで出来るような水準に引き下げることで、現実に対応していて。何でできないんだろう、と考えることに意味があるような気がしているのだけれど。(無理矢理形だけ達成しても意味がない場合があるし)
「約束」って幅が広い概念だな。
実現可能かどうか、は事前によくチェックした方がいいような気がしてきた。

上の私の例だって、いつまで本を読んだらダメでいつからOKっていう見通しはなかった。今思えば永遠に本を読まないなんて不可能な訳で、まったく意味のないセンターに通ってお金も時間も無駄にしたものだ。あー、思い出した。子どもにしたら超高額なセンター代金を無駄にした罪悪感が、その後ずっとひきずったんだ。