「障害がある」ということについて。

なんでかわからないけれど、重度の障害がある人と関わっている人に、「障害がある」って言えなくなった。
かなり相手を選ぶようになった。
口には出されないけれど、「そのぐらいで障害って言うの?」という空気をなんとなく感じる時がある。


じゃあ逆に、その人に、「あなたは障害がないでしょう?」と言ったらどうなるんだろう。重度と軽度で、「軽いでしょ?」って思う人に「ないでしょ?」って言ったら?(言ったことないけれど、もしもの場合)
(でも、その人だってぱっと見わからないけれど、病気かもしれないし。)


私も「元気そう」に見えてるけれど、これは外出を絞ってるから、出先で元気そうに見えるだけであって。
発達障害があるように見えない」かもしれないけれど、1カ所同じところに通い続けると、ボロが出まくって、あっという間にうつ状態に移行するだろう。これまで何度もそういうことを繰り返してきて、もう嫌だと強く思っているだけで。


精神科だって、最近通う人がじわり増えてきているけれど、ほとんどの人は通わずに思春期と20代を過ごす訳だし。もう慣れてしまって普通になってきたけれど、通わずにすむならその方がよいんだし。


よくわからないけれど、今日出かけたところでいろいろ考えた。なんだかもやもやする。


思い出して、ひさびさにリンコさんのサイトに行ってみた。
自閉連邦在地球領事館附属図書館
軽度障害と障害の証明義務



(追記)
それぞれのしんどさは比較にならないから、比べてどうこう言うのはやめようよ、ということでいいだろうか。でも相手がそう思ってくれるかどうかは期待できないので、発言には気をつけよう。



(さらに追記)
昨日、先月あったたぶん自閉症っぽい男の子が、私が来ているのを見て話しかけてきて。「先月会ったのを覚えてる? ご飯食べたとき近くにいたよね?」と聞いてみた。横にいた職員の人には、「そんな細かいことを...(笑)」って感じで言われてしまったけれど、彼から帰ってきた返事は「ビンゴ」(その日の懇親会でビンゴゲームがあった)だった。


「そうそう、私もいたよ!」と、覚えてるじゃーん、と思ってうれしかった。細かいことを彼も私も覚えている。障害の度合いは違うけれど、その場にいた人たちの中で、その時私たちが一番似ていた。


あの日はたくさんの外部の参加者がいたのだけれど、3度ぐらい通りすがりにちょっと話した。ひょっとしたら他の人と私が違うのが、彼にはわかったのかもしれない。