どうやったら働く準備ができるか

福耳コラム - 障碍者の雇用についてちょっとずつ考えるよ より

以下の引用は、↑blogの人が講演で聞いた話をまとめたもの。

これまでの障碍者教育のカリキュラムでは、障碍者自身が「自分がいずれ社会参加して労働してお金を稼ぐ」という可能性について意識させる活動が乏しく、周囲もそれをあまり考えることに積極的でなかったので、「障碍者が働く」ことについては未だ圧倒的に知見の蓄積が足りないのではないか。

ここでの「障碍者」には、「大人になって診断された発達障害者」は含まれていないような気がするけれど、問題は同じだと思う。
周囲から障害に気づかれることなく、「同級生と同じように同じスピードで働け」という圧力は受け、それに従って行動は起こすのだけれど、年相応の準備ができている人はどのくらいいるだろうか。


とはいえ、定型発達の子どもたちに「キャリア教育を!」という流れが一部ではじまったばかり、という現状、障害者教育(発達障害の子どもたち含む)に対応できるのはいつのことだろう。


しかしそれを実現する上での課題は、障碍者が自分が働きやすくするためにどのような手立てが必要か、そのニーズ情報が伝わりにくいという点である。多くの障碍者は「障碍者に対応するための知識伝達・訓練」を特別にした経験がない人に対して、自己主張した経験が乏しい。

これは難しい問題だと思う。

  1. 自分でもわかり/人に伝えられる領域
  2. 自分でもわかり/人に伝えれられない領域
  3. 自分ではわからず/人から見ればわかる領域
  4. 自分ではわからず/人にも伝えられない領域

(これがジョハリの窓、というやつ?)

1はいいのだけれど、2は「わかってもらえない」というストレスと戦いつつ、表現を工夫していくしかなく、
3はすごく運がよければ周囲が自然に「あの人はこういう人だから」と配慮してくれるかもしれず、
4にいたってはどうしようもない。


でも、最近マーケティングとかの本を読んでいると、「消費者は自分の求めているニーズがわからない」とか「消費者に何が欲しいか聞いてもし答えられない」というフレーズをしょっちゅう目にする。
だから、企業側は観察して提案して商品化しましょう、という流れなのだけれど、


何度も書いているけれど、私はもう一つ軽度な障害(聴覚障害には含まれないレベルの感音難聴、日常生活には不自由がある)があって、子どもの頃から嫌な思いをしたり、聞こえないことで周囲に迷惑をかけたりしながら対応してきた。電話応対が含まれる仕事はできない。(あまりにも聞き返しが多いため、先方をイライラさせる)
できること/できないことがわかっていて、対処もわかっている。


で、結局、「どの条件が整えば働けますか?」という条件の抽出がお互いにとって大切なのだけれど、
入ってみなければわからないこと、ってたくさんあって、そこについていける柔軟性にも欠けていることが多いから、運良くマッチしている人しか仕事が継続して成立していない、という現状があるのかもしれないと思った。