障害は文化か

自閉症スペクトラム生き方ガイド」をもう1度ぱら見。ろう文化や同性愛文化は参考になること。でも自分たちが作ったモデルではないこと、などについて書いてあった。

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障害は文化、という考えを初めて知ったのはニキリンコさんのサイトだったと思う。彼女はアメリカの当事者集会に出たり、他の障害を持つ人との付き合いがあって、そういう考え方を紹介していた。おおーと思った。「ろう文化」もその頃初めて知った。


「障害は文化」だと言い切ってしまうと、定型の人には、排他性や何らかの違和感を感じさせるのではないかと思う。


今、「障害は文化」というよりは「コミュニティは文化を持つ」と考えている。コミュニティは文化を内包する。成立させる土台となる。
例えば2ch
この巨大掲示板は間違いなく文化、ルール、それと言語まで持っている。馴れ合いは好まれず、「スレ違い」は厳しく排除され、sageを守らないと叱られ、その中でしか通用しない特有の言葉遣いをする。そういえば美術(AA)もある。きまぐれな王様もいたっけ。


双子のお母さんのコミュニティ、中小企業の社長さんのコミュニティ、カフェ好きな人のコミュニティ。属性や好みが共通だとコミュニティが生まれる。コミュニティの境界がくっきりしているかあいまいかはそれぞれ違う。「カフェ好き」だったら、"すごく好き"から"まぁ参考に"程度までざっくり含むけれど、双子のお母さんや社長さんにはなかなかなれない。まして自閉には自分の意志でなるものではない。診断、自覚による後からの参入はあるけれど。


引き続き考えてみる予定。
ちょっと前にこんなサイトを発見。参考になる。
「障害学カフェ」タイトル一覧

障害学カフェNo.14より

マイノリティにとってコミュニティは、自らが内部に抱え込んでしまった否定的な自己像を払拭するにあたって欠くべからざる場所です。外部から注がれる好ましからざるまなざしを遮断し、成員間で肯定的なアイデンティティを交換することで、自らをとらえていたネガティブな感覚から自由になることが可能となります。


未診断の人から「診断を受けました」と聞くと、いつも「おめでとう」と言いたくなるのは、「障害があってよかったね」という意味ではなくて、「コミュニティへようこそ」という意味を持っていたのかもしれないな。


(追記)
参入障壁が高いことが、コミュニティの境界をくっきりしたものにして、内側の連帯感を強めるのかもしれない。


「自閉は文化だ」という言葉は、「障害という同じ属性を持つとコミュニティを形成しやすい」→「コミュニティは文化を生む」と分解するとわかりやすいかな。


倉本智明「障害学・現在とこれから」より

僕は、自分がラクになるために「文化」を使った。

「確かに、いろいろしんどい。じゃあ、こういうふうに考えてみたら、やってみたら、ちょっ
とはラクになるんじゃないか? みなさんはどう思う?」

この「ラクになる」ってのはいいと思う。
「障害学の主張」リンコさん以外の章も含めて読み返さなくては。

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(追記2/4)
雨野カエラのかきくけこ:自閉コミュニティと私たち

視野が狭ければ狭いなりに、深みを目指すことができるのが私たちであるはず

いい言葉だ。