本音を読む 3

ASと想像力③ 相手の意図と相談より

 よくASが「被害妄想的」と言われるのは、「本来は知りえない他者の意図まで少ない情報からはっきり断定して考える」というところからだろう。実際表面に現れた行動からは、「本心」や「意図」は高々「推測」出来るに過ぎず、断定は本来不可能だ


確かにこういう側面はある。でも、本音を読む 2でも書いたけれど、なぜか直感的に理解できることもある。どちらも併せ持っているように思うのだけれど、どちらが発動するかは相手と状況次第なのかな。


(追記)
どちらにしても「断定」していることには変わりないかもしれない。

「(特に対人関係においては)手持ちの情報は非常に少なく、断定は危険である」と考えて、「暫定的な結論」を立てながら追加される情報に応じて結論自体を変化、発展させていくしかない。

うーん、この「暫定的な結論を変化させる」というのはしんどいなぁ。無数の枝分かれで限界がきそう。印象的な過去の記憶に引っ張られてしまう。


(追記)
これはビジネスの世界で「仮説思考」と呼ばれる手法なのではなかろうか。ちょっと調べてみよう。

そのたびそのたびに相手の意図を実際に言葉の形で確認して、その情報を追加し続け、言葉で得られた以上に普遍化することもしない。「必要があれば相手に聞く」ということになる。

これは昔はよくやっていたな。はっきり言うことは大事、わからなかったら説明してもらう、というポリシーがあった。今はだいたい推測してしまって確認はあんまりしなくなった。


(追記)
というより、なかなか定型の人はめんどくさがってこのプロセスにつきあってくれない。専門家は「つきあうのが仕事」で、何度同じ話を持ち出しても興味深そうにメモをとりながら聞いてくれる(笑)。診断を受けて良かったことの一つは、この聞いてもらえる経験を重ねたことかもしれない。だから普段はしつこく聞かずにすむようになったのかも。


(さらに追記)
聞かずに推測すると「被害妄想的」と言われ、きちんと確認すると「しつこい」と言われるような気がしてきた…。