Outputプロジェクト その2

その1はこちら

Amazonで書評を書きたいとも思っていたようだけれど、好きな本でも感想が書けなかった。


プロジェクトについて、専門家に相談してみた。

  • 中途半端な方法論は役に立たない。プロのやり方(無から有を生み出すような)が役に立つ
  • 表出不安*1は傷付きが影響しているのでは?

傷付きはあまり覚えがなかった。子どもの頃から苦手だと感じていた。同じ悩みを持っていた友人がいた。自分の書いたものを好きになれず、書くことに抵抗があると聞いた。彼女は子ども時代、親や兄弟から「話がわかりにくい」と言われたことに傷付いたと言っていた。


その後しばらく、能力以上のアウトプットを要求されることが多く、疲労をためた。文章の視点のねじれ、段落に次元の違う内容が混在することなどいろいろ指摘され、理解はできるもの直せず。当時の私の課題は、論理的でクオリティの高い長い文章を書くこと。今思えばろくに話もできない幼児に講演をさせるようなものだ。完成度の低いものを出してしまったことに後々まで苦しんだ。〆切があってよかった。時間があればよくなったとも思えない。
疲労から二次障害を起こし、自分の書いたものを引っ込めたくなる衝動にかられ、当時公開していたサイトも削除、出していた小冊子も回収したい気持ちになった。書くことというよりは、内容的に今より秘密にしていたことが多く、それがストレスだったのかもしれない。半年ほど何も書くことなく過ごす。


そして2004年秋、blogブームで自分もやりたくなってきた。食べ物blogを開設。日々のレシピをメモしたり、プリンの新商品を写真に撮って掲載したりして楽しむ。コメントやトラックバックもなんとかクリア。


2005年春、好きな本や映画の感想を書いたblogを開設。
秋、自分の関心のある技術について考えたことを書くblogを開設。
これで記録→感想→意見、と進化していったことになる。


2006年夏、このblogを開設。最初はニュースクリップや脳に良いことをぱらぱらと書いていたけれど、少しずつ内面に近いことを書けるようになってきたと感じる。
転換点は、家にあったり図書館で借りてきたアスペルガー関連書籍をblogのネタにするために、まとめて読み返したこと。じっくり読むというより引用するつもりで拾い読みした。他にも文章の書き方に関する本をこれまた大量に読んだ。何か回路が開いた感覚があった。
時系列にしか物事を書けなかったのに、テーマで書くようになったり、同じことを違う書き方で書いたりできるようになったことが変化だと思う。


前述の友人は今も苦手意識があると聞いた。4年かけて私の苦手意識がとれてきたのは、具体から抽象へ、外のものから中のものへ、と段階を踏んだおかげだと思っている。無理せずにその時書けるものを書いていったらこうなった。内側から言葉がスムーズに流れていくようになってきたので、楽になってきた。書きたいことリストが手帳にいくつかスタンバイしているのに、書き尽くす時間がないと思える不思議。


(おまけ)
文章を提出したあげくに、人前で話すことを求められていたさなかに書いた文章。かなり鬱気味だった。鬱っぽくないと書けなかった。内側からなんとか言葉を出そうとする必死感が伝わってくる。苦しかったけれど、こっちの文章の方が自分でも好きかもしれない。
2003-3-28


必死さは美しさに通じるのかもしれない。昔は不安感と恐怖と必死さを他者に評価されてきた。少しずつ楽になろうとしている今の自分は美しくないなとよく思う。

*1:書きたい気持ちが強すぎるあまり書くことに強い不安感を覚えている状態をこう呼んでいた。ちなみにドナ・ウィリアムズの表出不安は、あることをしたいという気持ちが強すぎると反対に行動できなくなる状態。