執着

人格障害と呼ぶ前に⑤より

 成人ASについて詳しく調べた結果、「成人ASは、殊に愛着の対象の相手には、愛着ゆえに境界性人格障害そっくりの態度をとる」ことが分かってきた。別に「重ね着」するまでもなく、「そのままで人格障害様」なのだ。


大人のアスペルガー症候群(上)より

 また、自分自身が何者であるかを捉えにくいことのひとつの結果として、常に空しさや無力感を感じている人も多く、(このあたりがBPDと非常に区別がつけにくい)他人の気持ちや状況がうまく理解できない反面、他人が自分をどう考えているかについては非常に敏感なので、嫌われること、見捨てられることを恐れ、不安定な関係にしがみつくことが少なくないような気がします。


この2つの記述から考えたこと。
本来愛着は幼児期に形成されるべきで、幼児の間は相手にしがみついても泣き喚いてもある程度は許される。その幼児期に愛着を成り立たせるだけの情緒的な発達が遅れていて、他者との親密な関わりを十分経験せずに思春期に突入。それなりに情緒が発達してきたところで誰かに対する愛着を持つけれど、未成熟なあまり極端な執着になりやすい、ということではないだろうか。

人間関係に恵まれた環境で育ったAS(少数派だろうけど)は、こういう問題を起こしにくいように思う。


性教育ならぬ恋愛教育をした方がいいのでは、と思う。片思い、両思いはわかっても「つきあう」ということがどういうことかずっとわからなかった。好きになって執着して終わり。相手とコミュニケーションとりたいという欲求が薄いからか。


友情教育も受けたかったかも。「友達」と強い2者関係を結んで、その関係を固定のままにしていた。何かで怒りを覚えることがあっても、「友達」なのにどうしてむかつくんだろう?と不思議に思っていた。自分の領域を守りつつ、距離を縮めたり遠ざけたりしながら、人とつきあう、ということを早いうちに学びたかったと思う。