自分の仕事が進まない

依頼に応えるという形での仕事は確立しつつある。依頼相手がいることが、枠組み作りと〆切作りにつながる。
自分で進めないといけない種類の仕事(重要)に、うまく枠組みを作れないで進められないでいる。しかも問題が複数混ざっているような気がしてきた。
人の依頼に応えてるだけではダメだという焦りと虚しさを感じる。

パターン認識と言葉で考えてないこと

友人にテンプル・グランディンの比較的新しい本を教えてもらって、
その中に、パターン認識で考えるタイプがいる、ということが書かれていました。他は言葉で考えるタイプとビジュアルで考えるタイプ。


4140816317自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか
テンプル・グランディン リチャード・パネク 中尾 ゆかり
NHK出版 2014-03-19

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検査的には言語性優位、とは言え、何かしっくりこなかったのですが、
3-4歳頃からパズルが好きで、何かパターンを見出すことはすごく好きなので、あ、これだ、という納得感がありました。
記憶は、ビジュアルをそのまま保存するタイプですが、どうも考えていることは言葉と少しズレがあるのではという感覚があります。
この辺、適切な教育を受けられたらなんとかなったかもしれませんが。


パターン認識が好きだし強い」と改めて認識したことで、自分のコアの部分をまた一つ確認できたような気持ちになりました。

分類能力と片付けられなさ

家の中のものをかなり捨てることができ、引き出しの中など一通りチェックしてみた。
「なんでこれとこれが一緒に入ってるんだろう」と思うことばかりだった。
例えば、同じ引き出しの中に、文具と薬が混ざっている。
「重要」としたファイルボックスの中に、領収書とクレジットカードの入会時の封筒が両方入っている。



他にも、
分類の方法がざっくりしすぎていて、引き出しにどんどん物を入れてしまって機能しなくなる。
L字型に棚を配置したりするので、デッドスペースを作ってしまう。
など共通するダメポイントが見えてきた。



片付けや収納の本をたくさん読みつつ、
・一つの引き出しや入れ物には同じ種類のものしか入れない
・使う場所の近くに物を置く
・動きに合わせて物の位置を入れ替える
・細かい分類をするためのグッズ(ジップロックなど)を活用する
など実践していったら、とても使いやすい家になってストレスも減ってきた。



「片付けられない女たち」を読んでADDを疑って受診したけれど、よく考えたら子どもの頃は部屋は片付いていた。
ADHDの友人は、子どもの頃は部屋がぐちゃぐちゃだったけれど、高校ぐらいで物を一気に捨てて増やさないようにしたら、片付けができるようになったらしい。

キャパオーバーするまで物を増やしてしまうことや、大人になって扱うものの種類が増えたこと、
自力で枠組みを作るのがなかなか難しいことが片付けられなさを発生させていて、
根本的に片付けられない訳じゃないと実感できて本当によかった。



具体的な物でさえ、分類がおかしいと感じるので、もっと抽象度の高いもの、時間や思考などの分類が難しいのだろうなとしみじみ思うけれど、
家がどんどん片付いていって、家事がぐっと楽になったというのは大きな成功体験になった。











 

逆に守られたこと

とある人の自伝的エッセイを読んだら、「かわいさ」「モテ」「女としての価値」みたいな考えや比較軸がとても多くて驚いてしまった。
自分の中に無いわけではないけれど、その人のは過剰すぎてきつい気持ちでいっぱいになってしまった。
でも、よく売れた本なので、多くの人が支持したのだろうと思う。


振り返ってみると、子どもの頃から、親や親戚や友人に容姿についてあれこれ言われることなく育ったと思う。
今でも自分の顔がどんな感じなのかよくわからないのだけれど、褒められることもけなされることもなく、なんというか「評価しにくい顔」なんだと思う。年齢不詳さもあり。
そんなことよりも、10代の頃は自分が普通の人ができることができないようだ、ということの方が悩みが深く、
あまり容姿や「女として」どうこうという観点では傷つかずにきた。
もしかしたら同級生など誰かから何か言われていたかもしれないけれど、気がつかなかったし、なかったことと同じだ。


比較し始めたらキリがないし、ずっと苦しいばかりだと思う。
若くてかわいい女の子を見たら、かわいいなーとのんびり思えるぐらいで本当によかったと思った。


父(教科書に載せたいぐらいの典型的なASD)のことを考えていても、比較軸を持たないので本人は悩まずメンタルは守られるということはありそう。
周囲が大変だけれど…。
私は父に比べると超軽度の部類に入り、10代半ばで周囲との違和感に気がついてしまったことで二次障害に突入してしまったと思う。

本当に「人の気持ちがわからない」のか

ASDの人は、人の気持ちがわからない、ってよく言われる訳ですが、
本当にそうなのかな、と考えています。


自分も含め、感情には敏感な人は結構います。相手が怒ってる感じがして怖い、とか。
子どもの頃、教室で先生が誰か別の子に怒っているのが怖い、とか。これは、自他の区別が曖昧だからでしょうか。


どちらかというと、感情には飲み込まれやすく(そうでないタイプの人もいるでしょうが)
相手の意図と、期待されてる行動がわからないのではないかなと思ってます。


あと、自分の感情を認識できるようになってきて初めて、
過去にあった友人知人との交流の中で引っかかっていたことが、納得できるようになりました。
この過去の振り返り、フラッシュバック的に一度に押し寄せてくると、うつ状態になるんですけれど、
理解力が上がったからか、ひどくダメージを受けずにできるようになっています。


自分の感情を認識できて、名前をつけることができれば「人の気持ちはわかる」のではないかと。
その手前の方でつまづいてるイメージです。

理解力が上がること

ストラテラを飲みはじめて、ざっくり1ヶ月ぐらい経過しています。
最近体調もよく、比較的落ち着いた生活をしていることももちろん支えになっているのですが、
ストラテラで少し脳の使い方が変わる感じがあり、理解力が上がりつつあるのでは、と感じてます。
本を読んで理解できるようになってきました。


思えば子どもの頃から速読→記憶→パターン認識みたいな本の読み方や勉強の仕方をしていて、
キーワードは脳内にストックされていても、論理や流れの理解には乏しかった感じがずっとあります。
それで、何かを学んだり積み上がったりしてきた実感がありませんでした。不調や解離も原因の一つだとは思うのですが。


仕事のために調べものをしたり本を読んだりしていて、今なら学べそうと思うことが増えてきて、とても嬉しいです。


3年近く前に思っていたことはこんな感じ。
経験から学べない理由

解離と2つの自分

「発達障害を忘れる」ということ。 - Togetterまとめ

このまとめを読んで、ぎょっとしたことを覚えてます。
診断を受けた時期が早かったこと、10代の頃から精神的に不調だったこともあり、ASの自分=アイデンティティになってしまっていました。
このblogの更新をやめ、AS関連の情報を見ないように、考えないようにし、一旦ASの自分を忘れることで、実名での自分のアイデンティティを育てることができました。(本来は、10-20代で育てるものだと思う)


昔、医師に、解離がありますね、と言われて当時は何のことかわからなかったけれど、
自分自身の輪郭が薄く、自分の気持ちや感情ほどわかりにくかったので、
ひどく不調の時期があるごとに、その前の自分のことを忘れて生きてきたように思います。
解離があったから、アイデンティティが薄いのだけれど、逆に意識的に「忘れる」ことができたのかもしれません。


年齢が上がってだんだん大きな不調は起こさないようになってきて、そうやって「途切れる」ことがなくなってきました。
けれど、昨年強いストレスがかかり、向き合うためにトラウマや虐待の本を読み、書かれている人の状態と自分との近さを感じ、解離があることを強く自覚しました。
受け入れるプロセスは苦しかったけれど、よいことだったと思います。


同じような10代を経て、解離とADHDを併せ持つ友人がいます。彼女は、医師に、元々の特性+後天的な解離の区別は付けづらい、と言われたそう。



ASの自分と、実名で仕事をしている自分、
どちらか片方の自分だけでは足りない、両方必要だと思って、この日記の再開を決めました。